
C&Rとウェブ上での情報公開について
私も名無し三平としてマジレスしたり、 マッタリしたり、アオったり、アオられたりしている某掲示板(笑)において、 ウェブ上で釣り情報を公開する事の是非が問われていた。 その要旨はこうだ。 ウェブ上での情報公開により、釣り人が増える、釣り場が混む、ゴミ・路駐が増える、魚が減る、 といった多くの問題が発生する。 この問題の悪化にウェブマスターは少なからず荷担しているのではないか? また、C&Rを唄いながら、一方で情報公開をするのは、 招く結果を考えると矛盾しているのではないか? * 私はHP上にカウンターを設置していないが、 HPのサーバをODNからLIVEDOORに移転した時(2001年の夏頃)より、 気になってアクセス数の増加を追ってみたことがある。 その結果、もちろん日によってムラがあるものの1日100程度、 村岡さんの所のゲットブックに書き込むと300程度のアクセスが発生することが判った。 この数字は無視できるものではない。 こうした認識もあり自分の考えを詰めてみることにした。 * まず、C&Rについて。 この行為の実際的な効果について、少しばかり勉強したが、よくわからない。 というか、私にとってそんなことはどうでもいい。 魚を釣った以上、釣り上げた魚を何らかの方法で処理しなければならない。 その時、陸に放っておかないで、海に放すというただそれだけのこと。 これがC&Rだと思っている。 もちろん、魚体のヌルを取らないとか、あまり長時間陸に上げておかないとか、 そういう部分に気をつかう必要はある。 しかし、それほど大きな手間だろうか? そもそも、我々の行為は倫理・道徳といったものと不可分ではない。 自分を楽しませてくれた魚が腹を上にして目の前を流れてゆく。 それを見て本当に何とも思わないのか?ということだ。 だから、自分のためになるべく少ないダメージでリリースする。 たった、これだけのこと。 C&Rに関し、問題は常に流布の方法のマズさや動機付けにおいて発生している。 * 次に、ウェブ上での情報公開について。 これは、様々な影響があると知りながら、 釣行記を公開したいがために結果的にやってしまっている。 情報公開自体が目的ではないため、 公開する情報は自分の感覚で制限しているつもりだが・・・。 たとえば、そこが無名の穴場であれば、場所自体を特定できないようにぼかす。 反対に有名な釣り場であれば、場所は公開しても攻め方をぼかす。 また、場合によっては現地で目にした他の釣り人の釣果をぼかす。 但し、あくまでも実感で線引きをしてるため、 人によっては行き過ぎてると思うだろうし、 時間が経ってみて自分自身やり過ぎたなと後悔する時もある。 この点は素直に謝りたい。 以後、情報公開のデメリットを抱える釣行記を、なぜ書き続け、公開するのか。 その理由について述べてゆきたい。 * 釣行記の中で、自身の認識した対象、そして行動や思考、感情の起伏に至るまでを 必要に応じて詳細に記述してゆく。 こうした行為が、自身に大きな快楽を与えてくれ、また、ためにもなると意識し始めたのは 2000年の夏頃だったと思う。 これと同じ時期に、釣行記にあらゆる対象を記述する姿勢を徹底しようと思うようになった。 その方法の一つはポイントの根の状況から潮流の動きまでを詳細に図解するというもの。 現代の哲学者は身の程をわきまえている。 しかし、大昔の哲学者は、対象を認識し、言語に置きかえる作業を徹底すれば、 いつか言語による鏡面世界のようなものを構築できると考えていた。 私も、釣行記という形をとって、これに近いことをやろうとしていた。 うまくいけば読者はその状況を手にとるように把握でき、 釣り(思考や行動)をシミュレーションできる。 従って、臨場感を味わうことができるし、 私が釣行記の中でとっている思考や行動を批評できる。 これは読者にとって大きな快楽となり得るのではないだろうか。 とかなんとか暇にまかせて想像だけは膨らむのだが、 まず図を書くのが面倒だし、何より情報の公開し過ぎだと思い、実際は適当な所で止めてしまっている。 長々と書いてきたので要旨を箇条書きにします。 @釣行記を書くことは私の楽しみである。 A釣行記を公開することが問題を発生させることを理解している。 Bなるべく問題を抑えるため情報をぼかすことなどケースバイケースで対応している。 C釣行記の性質によっては釣り場名を省略しても、ディティールを省略したくない場合がある。 D詳細な釣行記を書く楽しみを多少は我慢している。 E私が楽しむための釣行記ではあるが、読者の側も楽しめる時がある。 F批評を通じて筆者と読者が何らかの関係を結ぶことができる。 話が変わるが、私は1人で釣りに行くことが多い。 というか稀にしか2人以上では行かない。 これは私が我侭だからだ。 釣りをしたい日に、釣りをしたい場所で、気が済むまで・・・ となると、やはり1人になるのだ。 もちろん、2人以上で行きたいと思った時もある。 しかし、いざ行ってみると、やはり「向いてない」と思ってしまうわけである。 ・・・とか何とか我侭な言い分を並べてみたものの、 やはり1人でやっていると釣りにも張合いが無くなってしまう。 こればっかりはどうしようもない。 そこで、釣行記なんかを書くわけだ。 まあ見る人から見れば根暗でまどろっこしい事やってるなと感じると思うんだけど、 釣行記を介して自分自身を対象化すると何故か落ち着くのだ。 でも、それだけじゃ足りなくて村岡さんの所に書き込んでみたり、 他の人の釣行記読んだりして・・・。 こんな我侭な私ではあるが釣りをしてれば知り合いもできたり、 他人に感謝の気持ちを持ったりもする。 そこで実際に良かれと思って人のために何かしたりもする。 ちなみに、私のHPの冒頭には「自由で孤独な意志の泉を求めて」とあるのだが これがなかなか見つからない。 というか見つかるんだが、どの泉からも意志の力が無限に湧いてくるわけじゃない。 だから方々歩き回るんだけど・・・。 で、この泉を海岸を歩いてて見つけた人もいれば、 本屋で見つけた人もいる。 今はネット上でも見つかる。 私の釣行記がそういうものになってるかどうかと言うと、 読者の方から戴くメールを読む限り、 自惚れでなく少しはなってるんじゃないかと思っている。 私は、以上のような理由から、 釣り人を釣り場へと駆り立てる釣行記を公開することを肯定している。 但し、どこそこで入れ食いだから、というカタチで駆り立てるのは私の本意ではない。 今、釣りのスタイルというものがどんどん変わっている。 これは、魚影が薄くなったということ、 情報の流通や公開が加速しているということ、 釣行記を通して自身を対象化する動きが進んだということ、 インターネット等の情報網の一般化によってあらゆる情報が不特定多数者の批評の対象となるということ、 等の様々な変化に釣り人一人一人が対応している証拠。 こういう過渡期に問題が発生するのは避けられない。 だからと言って開き直るわけではないが、 多くの者が、釣りをし、感じ、考え、落ち着く所を探っていると思うわけで、 その思考錯誤の過程で生じる膿がウェブ上に表象してしまうのは仕方が無いと思うのだ (もちろん反発が生じるのも仕方が無いと思っている)。 * さて、C&Rとウェブ上で情報公開する行為の矛盾についてだけど・・・これはしょうがないね。 矛盾を正々堂々と指摘できる者の美しさは好きだけど。 ランボーとか、走れメロスとか、UWFとか、J・L=ゴダールとか、南アルプス天然水のCMとか(笑)、 その他もろもろ好きなんだけどねー。 現実として、ビートたけしみたいに笑うしかないんですわ。 どこかの掲示板で 「スズキの命にもたれかかって生き続ける自分は情けない」 というようなことを書き込んでたスズキ釣り狂いの人が居たんだけど、 まーあれにはショックを受けましたね。 確かにそうだからね。 でも、そこまでナイーブになるとやってられないんだよね、正直。 * 最後に大局について。 何か運動のようなものを推進する時に頭で考えたことを先行させ過ぎるとマズイと思う。 というのも人間が大量虐殺する時って頭で考えたことが先行してるから。 結局、どの運動も個人レベルでの受け入れという段階を経なければならないのだから、 高々とマナーを掲げて互いの行動を監視し合うような息苦しい環境を作るより、 とりあえず体動かしてみて「何か違うな」って感じたら方向を修正してゆけるような そういうゆとりを常に残しながら運動を推進させることが必要だと思う。 もちろん頭が先行する理由もわからないわけではない。 恐らく、腹も減ってないのに、縄張りを冒されたのでもないのに これほど貪欲に狩りをするのは人間ぐらいなもの。 だから悪いというわけではない。 現代人の釣りの主な目的は余暇の充実にあるのだから、 スズキ釣りのゲームとしての側面がクローズアップされるのも妥当と言えば妥当なのだ。 そして、こういう性質を持った釣りだからこそ自身の行動を頭でセーブする必要が出てくる。 ゲームフィッシングとC&Rがワンセットで流布されるのは正しいと思う。 しかし、あらゆるスズキ釣りがゲームフィッシングなわけではない。 ある時点ではゲームの枠組の中に入るが、 すぐに外に出てしまうという釣りもある。 だから、全てのスズキ釣りをゲームフィッシングだと言い切ってしまうと、 スズキ釣りは本当に貧しいものになると思う。 * とりあえず、このへんで。 2002年1月8日バーブ付きフックについて
バーブ付きマークとは?
私はバーブ付きフックを使用していますというマークです。 バーブレスマークは掲載したのにバーブ付きマークは掲載しないのはいかがなものかと・・・。 なお、このマークは賛同者を求めるためのものではありません。私の立場&ひしひしと感じる排他的な傾向について
私はバーブレスフック使用者に批判的ではありません。 使用したい者はすれば良いと思います。 但し、一部の推進者の運動の進め方には批判的です。 だからと言って推進者自体を嫌っているわけではありません。 もちろん人間だから感情的になることはありますが、 それを引き摺らないよう努力するのが人間の強さでしょう。 ところでネットシーバサーって排他的で右倣えな方が多いと感じるのは私だけでしょうか? こだわる=排他的というのは同じことでしょうか? 賛同意見というものがある一方で賛同しない意見があって当然でしょう。 賛同する者は賛同する理由があって賛同しているわけだし、 賛同しない者は賛同しない理由があって賛同しないわけだから。 皆さんは先導者への必要以上の思いやりや村意識から 言うべきことが言えない状況をどう思っているのでしょうか? こんな状況を維持しても悪戯に反発を潜在させてゆくだけだと思いますが?バーブレス断念に至る経緯
自分なりに少しだけバーブレス化に挑戦してみましたが、 あまりにも苦痛なため断念しました。 その顛末は以下の日付の日記を読んで推測して下さい。 2002年 3月22日、24日、27日、30日 4月4日、8日、12日 もちろん、私に技術や根性があったり、 既に目標とする魚を獲って良い感じに枯れていたり、 夕マヅメの2時間ぐらいを友達と近所にふらっと出かけるタイプの釣り人だったりしたら、 もう少しぐらいはバーブレスへの挑戦を続けられたかもしれません。 しかし、私はいずれのタイプでもないので、 バラシの連続から受けるダメージがあまりにも大きかったのだと思います。 バラシの原因は全てが全てバーブレスに因るわけではありません。 しかし、4月13日の釣行で表層以外でがっちり食わせるようにしたにも関わらずバラシまくるに至り、 今の自分の力量ではいつ終わるとも知れない暗中模索を続けることになると思いました。 また、バラシに目が向き過ぎて以来、釣りを楽しめていないことにも気付きました。 一体、何のために釣りをしているのか? 逆に、何故、今までは釣りを楽しめていたのか? いろいろなことがわからなくなりました。 自分なりに悩んだ末にバーブレスをやめることにしました。 「私は釣りを楽しむことを最優先します」 但し、これは今後バーブレスにしないということを言っているわけではありません。 いつになるか分りませんが気が向いたらバーブレスを試してみようと思います。こういうケースでは・・・
これは今までも言ってきましたが、 ボート釣行や釣り大会、 また同行者の立場や性格などによりトラブルが自分一人の問題で片付かなくなるケースでは バーブレスフックを使用したいと思います。 * とりあえず、このへんで。 2002年4月15日 前のページに戻る